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2014年8月14日 (木)

ルチオ・フォンタナ「空間概念」芳賀徹先生の文章から思う彫刻のこと。

柿伝の「茶の湯同好会」会報「茶の湯486号」2014年8月1日号の1ページに芳賀徹先生が現代の眼(まなざし)Ⅶ-3「ルチオ・フォンタナ『空間概念』」をお書きになっている。芳賀先生の文章はいつも素敵。

ルチオ・フォンタナ(1899-1968.アルゼンチン生まれのイタリア人美術家)は大好きな作家であるが「空間概念」と題した無事の画面にカッターナイフの1本ないしは数本の裂け目の曲線が切り開いてあるものばかりがその作品だと思っていた。

Photo

これ↑は滋賀県立美術館所蔵品。(私が好きな作品は東京国立近代美術館のグリーンの作品である。見なれているからかもしれない。)

ところが先生が今回取り上げられたのは彫刻作品だった。鉄で出来た高さ160㎝。所蔵者もわからず白黒写真だけがあるが、この写真の作家も不明とのこと。

2014810_001

写真は見つからなかったので「茶の湯8/1号」の写真を写真に撮って載せる。野外らしきところに立つ作品は先生の表現によれば『ひょろひょろとくなって伸びる鉄の茎の上に、不定形のゆがんで平べったい鉄板が翼を広げたような格好で乗っている。よく言えば鶴のような鳥が上空を目指して飛び立とうとしている姿か。・・・大きな鱏が、やや斜めの陽を浴びて干物になっているようにも見える。要するに高さ1m50㎝余りの鉄製の案山子か。ユーモラスな表情で微笑を誘いながらも、また機智に富んでいる。まさに風流と評すべき作品であろう。』とある。

さらに、『この彫刻作品が広く明るい食卓の一隅に赤いガーベラの花瓶と並んで飾ってあったら、ひとの心はいつのまにか愉悦の想いに満たされるだろう。だかそれよりも茶室の露地の山吹の花かげに、あるいは一叢の萩の花に寄りそって、このひょろひょろの黒い抽象作品が立っている、というほうがもっと似つかわしく、風流かもしれない・・・・』

とつづく、実はこの文章を読んでいたのに、鉄の作家の作品展を見た時には全く思い出さず、数日してこのことを思い出した。

鉄の作品を露地に置くとはなんと素敵な発想だろう。そういう露地をたどった先の茶室の室礼を、道具組を想像するだけでドキドキする。そういう茶会に出会いたい。

彫刻作品はその土台が問題だといつも思う。あの台まで気を配った作品は滅多にないとおもう。安全性を大切にするからか・・・今回見た作品の作家は自分で作った焼き杉の台に作品を挿してあり、はずして置くことも可能な形にしていた。でもやっぱり何か違う・・・

フォンタナがこの彫刻作品を何のために、誰のために作ったかはわからないそうだが、遠い日本で茶室に通じる露地に置いて見たら風流だと思わせたのはこの作品が持っている禅にも通じるこころではないだろうか。芳賀先生はフォンタナのことを一休禅師のように痛快な人だったと書いていらっしゃる。

先生は1960年の夏、ヴェネチアのフォンタナの仮の画室を訪ね、勅使河原蒼風さんとともに数時間を戯談のやり取りで笑い通され、今も忘れえぬ夏の至福の半日であったとこの原稿を締めくくられている。

芳賀先生がこれからも取り上げられる作品が楽しみだ。

*2014.8.24までパリ市立近代美術館でフォンタナ回顧展を開催中。

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