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2013年6月15日 (土)

マルコ・ポーロが見たユーラシア展

横浜ユーラシア文化館開館10周年記念特別展「『東方見聞録』の世界 マルコ・ポーロが見たユーラシア」が開催中。

先日、横浜の大桟橋で開催されたクルーズ説明会に行く途中、みなとみらい線「日本大通り」駅を降りたらこの「ポスター」に出合い時間もあったので立ち寄った。

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横浜ユーラシア文化館はいつも心惹かれる展示をしているけど入るのは初めて。あまり広くはない。駅にも直結しているので便利ですが、なんとなく暗い~。もっと素敵にすることが出来るはずなんだけど・・・

とにかく、この展示。マルコ・ポーロは知っていても一体幾つの人だったとか、どんな旅ルートだったかはよく知らなかったのでとても面白かった。

なにより、ヴェネツィアには彼の邸宅だったところがまだ存在しているということがわかってうれしくなった。

図録のごあいさつによれば「25年にわたって見聞きしたユーラシア各地の産物、宗教、迷信、風俗が記された『東方見聞録』。そこから見えてくるユーラシアの13~14世紀は、人やモノの異動がグローバルに行われていた時代でした。海と陸のルートを通じた東西交易では中国陶磁をはじめ多くの品物が運ばれ、イスラームやヨーロッパ出身の人がモンゴル帝国で官僚として活躍するなど、現在に残る多くの資料から東西の安定した様子がうかがわれます。また、日本が初めて世界を認識した蒙古襲来という出来事もこのころでした。」

この展覧会では『東方見聞録』の内容のほか、その時代背景や宗教、文化交流などを陶磁器、絵画、典籍、地図など東西の様々な資料約200展が紹介されている。

マルコ・ポーロは1270年ヴェネツィアを17歳で旅立ち、イラン、中央アジア、を横断し、中国に到達、1295年に帰国するまで、当時の中国を支配していた元朝の皇帝フビライ・ハーンにつかえていた。旅は父(ニコロ)や叔父(マフィオ)と一緒だった。彼等はブハラでイル・ハン朝から元朝へ向かう使節団と遭遇して中国へ赴くことになったそうで、この使節団との出会いがなければ「東方見聞録」は存在しなかったかもしれない。

何より驚いたのはブハラにマルコ・ポーロの父と叔父が行っていたことを初めて知った。ブハラに行ったのはもうずいぶん前、多分30年近く前になるだろう。その時はヴェネチアの商人たちがここを通過していたなんてなんて思いもしなかった。(ブハラやヒワは今どのように変化してるだろうなんてちょっと思った。)

マルコ・ポーロによって黄金の国ジパングと紹介されたわが日本。そして、もうひとつの情報が「蒙古襲来」に関するものだった。展示には戦場となった鷹島海底遺跡からの出土物があった。

「東方見聞録」の原本は伝わらず、本来の書名さえ分からないという。14世紀のうちにラテン後、イタリア語、フランス語、ドイツ語などに翻訳された写本が作られ、15世紀に印刷技術が普及すると多国籍語のテキストが一層広まった。どうしてベストセラーになったのか。その答えはその内容の多様性にあるとのこと。旅行記、地理書、商業の書、宮廷文学、驚異の書、実に様々な側面を持ち、読者次第でいかなる読み方も出来るのである。東方世界に関心を持つ人のあらゆるニーズに応えられる書物であった。当時のヴェネツィアはヨーロッパ随一の印刷センターであったことがその流布に拍車をかけた。

記録保存の先進地であったヴェネツィアの公文書には、マルコ自身や家族の情報を含む法廷記録、一族の婚姻や財産の記録、生家や不動産の売買記録など公的な記録が数多く残されており、ポーロ家の足跡を辿ることは難しくないそうである。

ヴェネツィアではポーロ家は「百万の男(イルミリオーネ)」の家系として有名な一族だそうだ。

展示品は多くない(200点あるのだが、細かいののが多いので)ものの、私にとっては収穫の多い展覧会だった。

ヴェネツィアに行く楽しみが広がった。(いつのことかはわからないが)

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